ソウルで渡された住所が導いた、シアトルの一つの空き地|私たち夫婦の不思議な縁

シアトルの二軒の家と、その間の一つの空き地を住所を持った母が見つけるイメージ アメリカ生活

前回の記事では、私が15歳のときに亡くなった父が、テキサスへ渡ろうとしていたことを書きました。

それから30数年後、父の計画を知らない孫娘の「アメリカで勉強したい」という希望をきっかけに、私たち家族はテキサスへ移住しました。

父が果たせなかったアメリカへの夢と、孫娘の希望が、同じテキサスという場所でつながったことに、私は不思議な縁を感じています。

しかし、私と韓国人の妻をめぐるアメリカとの縁は、それだけではありません。

もう一つの物語の舞台は、テキサスではなくシアトルです。

それは、ソウルで何気なく渡された一つの住所から始まりました。

結婚したばかりのころ、ソウルで交わされた会話

私が韓国人の妻と結婚して間もないころのことです。

アメリカ人と結婚してシアトルに住んでいた妻の姉が、一時的に韓国のソウルへ帰国しました。

ちょうどそのころ、私の母もソウルへ来ていました。

妻の姉は韓国語で、シアトルでの生活について妻に話していました。私はその会話を日本語に通訳し、母へ伝えました。

そのとき、妻の姉はシアトルの住所を母にも教えてくれました。

当時は、いつかシアトルへ行くことがあれば訪ねられるように、という程度の話だったと思います。

誰も、その住所が後に母を助け、私たち夫婦の不思議な縁を明らかにするとは想像していませんでした。

父の元秘書もシアトルに住んでいた

私の父が生きていたころ、父の秘書をしていた女性がいました。

その後、彼女はアメリカ人と結婚し、シアトルで暮らすようになりました。

父が亡くなった後も、彼女と私の母には交流が残っていました。

彼女は母に、

「シアトルへ遊びに来てください」

と何度も声をかけていました。

繰り返し誘われた母は、やがてアメリカへ渡り、彼女の家に滞在することになりました。

母のシアトル滞在は、数カ月に及びました。

招待には別の事情があった

ところが、一緒に暮らすうちに、母は彼女があれほど熱心にシアトルへ来るよう誘っていた理由に気づきました。

その家庭では、子どもの世話をしてくれる人が必要だったのです。

母は客として招かれたというより、ベビーシッターとしての役割を期待されていたように感じました。

その状況に耐えられなくなった母は、彼女の家を離れることにしました。

しかし、当時の母には車がありませんでした。

現在のように、スマートフォンで簡単に車を呼べる時代でもありません。

そこで母が思い出したのが、ソウルで妻の姉から教えてもらった、シアトルの住所でした。

ソウルで教えてもらった住所を頼りに歩き出す

母は、妻の姉の住所を頼りに歩き始めました。

異国の街で車もなく、どのくらい不安だったかと思います。

ところが、住所をたどって妻の姉の家へ向かうと、驚くべきことが分かりました。

父の元秘書の家と妻の姉の家は、非常に近い場所にあったのです。

母は妻の姉の家を訪ね、その後しばらく、そこで過ごすことになりました。

そして、二つの家の位置関係を知ったことで、一つの不思議な事実が明らかになりました。

二つの家の間にあった一つの空き地

以前、父の元秘書は母に、こんな話をしていました。

「家の隣に空いている土地があるから、買いませんか?」

話が具体的に進んだわけではありません。会話の中で持ちかけられただけで、母も実際に購入を検討したわけではありませんでした。

一方、妻の姉も、妻に同じような話をしていました。

「うちの隣に空いている土地があるから、買わない?」

こちらも、実際の購入に向けて話が進んだわけではありません。

しかし、母が実際に二つの家を訪れたことで、驚くべきことが分かりました。

父の元秘書が母に勧めた土地と、妻の姉が妻に勧めた土地は、別々の土地ではありませんでした。

まったく同じ、一つの空き地だったのです。

一つの空き地を挟んで暮らしていた二人

つまり、シアトルにある一つの空き地を挟んで、一方には私の父と縁のあった女性が暮らし、もう一方には妻の姉が暮らしていました。

二人は同じ時期にそこに住んでいながら、お互いにまったく面識がありませんでした。

父の元秘書は、その空き地を私の母に勧めました。

妻の姉は、まったく同じ空き地を私の妻に勧めました。

もし母がその土地を買っていたら。

もし妻がその土地を買っていたら。

私の家族と妻の家族は、別々の方向から同じ場所へ導かれていたことになります。

実際には、どちらの話も具体化しませんでした。その土地をその後誰が購入したのかも分かりません。

それでも、一つの空き地が、私の家族と妻の家族の間に存在していたという事実は残ります。

知った瞬間、背筋がぞっとした

この事実を知ったとき、私たち夫婦は、背筋がぞっとするような驚きを感じました。

怖いという意味ではありません。

あまりにも偶然が重なりすぎていて、すぐには言葉にできない感覚でした。

日本にいた私の父と母。

韓国で生まれ育った妻と、その姉。

私の父の元秘書と、妻の姉。

本来であれば交わる理由のない人たちが、遠く離れたアメリカのシアトルで、一つの空き地を中心に結びついていました。

しかも、すべてが分かったきっかけは、私が結婚したばかりのころ、ソウルで妻の姉が母に住所を教えていたことでした。

あのとき住所を伝えていなければ、母は妻の姉の家へ行けなかったかもしれません。

二つの家が一つの空き地を挟んで建っていることも、分からないままだったかもしれません。

ソウルでの何気ない会話が、何年か後にシアトルで一つの事実を明らかにしたのです。

私たちが意識する前から続いていた縁

私は日本で韓国人と偶然出会ったことをきっかけに、韓国語を学び、ソウルへ渡りました。

そして韓国人の妻と結婚し、17年間韓国で暮らした後、家族4人でアメリカへ移住しました。

自分では、その時々に考え、迷いながら道を選んできたつもりです。

しかし、長い時間を振り返ると、自分たちが意識していないところで、家族同士をつなぐ糸が伸びていたように感じることがあります。

父がテキサスへ渡ろうとしていたこと。

その30数年後、父の孫娘の希望によって、私たち家族がテキサスへ移住したこと。

そしてシアトルでは、父の元秘書と妻の姉が、一つの空き地を挟んで暮らしていたこと。

どれも、誰かが計画したことではありません。

だからこそ、不思議なのです。

人生は、後から振り返ると物語になる

その空き地がその後どうなったのか、今は分かりません。

誰が購入したのかも、どのような家が建ったのかも知りません。

私たちにとって、その土地を所有すること自体は重要ではありません。

大切なのは、一つの空き地が、私の家族と妻の家族を結ぶ場所として、確かに存在していたことです。

人生の途中では、目の前の出来事に対応するだけで精いっぱいです。その出来事にどのような意味があるのか、そのときには分かりません。

しかし、何十年か経って振り返ると、離れていた点と点がつながり、一つの物語として見えてくることがあります。

ソウルで交わされた何気ない会話。

母が大切に覚えていたシアトルの住所。

車もない異国の街で、その住所を頼りに歩いたこと。

そして、その先にあった一つの空き地。

一つでも欠けていたら、この不思議なつながりを知ることはなかったでしょう。

シアトルにあった一つの空き地は、私たち夫婦が出会う前から、二つの家族の間に伸びていた不思議な縁を、目に見える形で教えてくれました。

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