第6話|寿司バーを買った私が、従業員から寿司を学ぶまで

Kroger店内の寿司バーの全景。SUSHI BARの看板と商品が並ぶショーケース アメリカ生活

前回:第5話|英語をほとんど話せなかった妻が、小さな店を一人で支えた3年間

約3年間、妻が一人で切り盛りしていたクリーニングの受付店が閉まりました。

経営が厳しくなり、オーナーが本店だけを残すことになったためです。

その頃、私は別のクリーニング店で働いていました。妻の仕事がなくなったことが、すぐに家計への大きな打撃になったわけではありません。それでも、妻は次の仕事を探しました。

求人広告で見つけたのが、Krogerの店内にある寿司バーのパートタイムでした。

私たちと寿司の仕事との関わりは、妻のこの仕事から始まりました。

最初は、なかなかロールを作らせてもらえなかった

妻が最初に勤めたのは、後に私たちが購入する寿司バーとは別のKrogerの店舗です。

ただ、働き始めてすぐに寿司作りを任されたわけではありません。妻の話では、最初は雑用が中心で、なかなかロールを作らせてもらえなかったようです。

寿司バーでは、午前11時までにショーケースを商品でいっぱいにしなければなりませんでした。午前中が勝負の仕事です。

妻のパートタイムも、お昼過ぎまででした。

妻はその店で働きながら、少しずつ寿司の仕事を覚えていきました。私が寿司作りを習うのは、もう少し後のことです。

アイスクリーム店から続いていた縁

私たちには、家族ぐるみで付き合っている韓国人のご夫婦がいました。

出会いのきっかけは、以前、私たち家族が運営していたアイスクリーム店です。お客さんとして来ていた方と知り合い、その後も付き合いが続いていました。

そのご夫婦は、寿司バーを始める前に寿司レストランを経営していました。私たちの長女も、そこでパートタイムをしていたことがあります。

私たちにとっては、以前から家族で関わりのある人たちでした。

その後、ご夫婦はKrogerの店内に寿司バーをオープンしました。

あるとき、そこの奥さんと妻が電話で話しているうちに、妻が別のKrogerの寿司バーで働いていることが話題になりました。

すると、こちらの店にも遊びに来ないかと誘われたのです。

そのとき、相手がすでに店の売却を考えていたのかどうかは分かりません。買い手を探していたのかもしれないというのは、今振り返っての私の推測です。

その電話をきっかけに、私たちは店を訪ねました。

輝いて見えた寿司バー

訪ねた寿司バーは、とてもきれいでした。

私には、その店が輝いて見えました。

妻がすでに別の店舗で働いていたこともあり、寿司バーは、私たちにとってまったく知らない仕事ではなくなっていました。

記憶では、その後、妻はこのご夫婦の店で働くようになりました。そして、ご主人から事業を買わないかという話が出たのです。

Kroger店内の寿司バーを斜めから撮影。寿司が並ぶショーケースと奥の作業場
私たちが経営していたKroger店内の寿司バー。ショーケースに並ぶ寿司と、その奥の作業場。

次の出発点は、すぐ近くにあった

もう一つ、不思議に思うことがあります。

このKrogerは、私たちが購入を断念したアイスクリーム店から、車でわずか数分の場所にありました。

家族で働き、購入を真剣に考えた末に、買わないと決めた店。そのすぐ近くで、今度は寿司の仕事に関わることになったのです。

二つの店をつないだのは、アイスクリーム店のお客さんとして知り合ったご夫婦でした。

あの店を買うことはありませんでしたが、そこで生まれた付き合いは続いていました。そして、その縁をたどった先も、遠く離れた場所ではありませんでした。

シアトルでの出来事を振り返ったときにも感じましたが、人生の節目で、場所と人との縁が思いがけず重なることがあります。

私たちにとって、次の出発点は、断念した店のすぐ近くにありました。

残していた資金で、事業を購入する

購入を考えるうえで、私たちにはビザの問題もありました。

商売としてやっていけるかどうかに加え、アメリカで暮らしていくための見通しが大切でした。

移民弁護士にも相談しました。私たちの場合、ビザの問題を解決できる見通しが持てたことが、購入を決める大きな理由になりました。

購入の元手になったのは、韓国にあった土地を売って用意した資金です。

もともとアイスクリーム店の購入を検討したときに、アメリカへ送っていたお金でした。店を買わなかったため手元に残り、その後は生活費の不足分を補うため、少しずつ使っていました。

その残った資金を、今度は寿司バーの購入に充てました。

第4話で書いた、アイスクリーム店から残った「資金」と「縁」。その二つが、ここで一つにつながったのです。

カリフォルニアロールから始めた研修

私が寿司作りを習い始めたのは、事業を購入してからでした。

自分たちで店を運営する以上、私も実際の仕事を覚えなければなりません。

教えてくれたのは、その店で働いていた従業員でした。

最初に習ったのは、カリフォルニアロールの作り方です。

海苔の上にご飯を広げ、裏返して具を載せ、巻いていく。私は、その基本から教わりました。

妻はすでに寿司バーで働いた経験がありましたが、私は習い始めたばかりでした。

ところが、その研修は、思いがけない形で途切れます。

わずか1週間で、教えてくれる人がいなくなった

教わり始めてわずか1週間で、その従業員が交通事故に遭い、働けなくなってしまいました。

そのまま退職することになったのです。

事業は、すでに購入しています。教えてくれる人がいなくなっても、店の仕事は続きます。

私たちは、家族で寿司バーを回すことになりました。

午前11時までに、ショーケースを商品でいっぱいにする。妻が最初のパート先で経験していた仕事を、今度は自分たちの店で担わなければなりませんでした。

妻の姉夫婦も、一時的に助っ人として来てくれました。

妻の経験を頼りに、身内の手も借りながら、私も実際の仕事を通じて覚えていくことになったのです。

寿司バーでロールを作る妻の作業風景を写真からイラスト化
購入した寿司バーでロールを作る妻。運営開始からしばらく経った頃の写真をもとに、人物の顔立ちを変えてイラスト化しています。

店を支えてくれた人たち

初めの頃は、従業員がなかなか長く定着せず、入れ替わりがありました。

そんななか、後に雇った従業員に、とても仕事の速い人がいました。

その人は、夜明けにはドーナツショップで働き、午前中は私たちの寿司バー、午後はクリーニング店で働いていました。

一日のうちに、三つの仕事場を回っていたのです。

午前中に商品をそろえる私たちの店で、その仕事の速さは頼りになりました。夜明けからそれだけ働くのですから、すごい人だと思いました。

そして、その次に来てくれたのが、寿司シェフとして長い経験を持つ人でした。

その人は、長年にわたって私たちの店で働いてくれました。私も、一緒に仕事をしながら、ずいぶん多くの技術を教わりました。

家族が店に入る時期もありました。娘婿が働いていたこともあります。

私たちの店は、家族と、そこで働いてくれた人たちに支えられて続いていきました。

店主だった私の先生は、従業員だった

私は、寿司職人として経験を積んでから店を買ったわけではありません。

事業を購入して初めて、従業員からカリフォルニアロールの作り方を教わりました。その研修が1週間で途切れたあとも、日々の仕事を続けながら学んでいきました。

後に来てくれたベテランの寿司シェフも、私にとって先生でした。

店の持ち主は私でも、寿司作りについては、従業員の方がよく知っていました。

結局、私は従業員から寿司を学んだのです。

2019年6月、筆者によるカリフォルニアロール作り。経験を積んだ後の作業映像です(早送り・編集済み、約1分4秒)。

アイスクリーム店で知り合った人との縁が、寿司バーの購入につながりました。そして、購入した店で出会った人たちが、今度は私に仕事を教えてくれました。

妻が求人広告で見つけたパートタイムから始まった寿司の仕事は、こうして私たち家族の暮らしの一部になっていきました。

次回は、仕事の話から少し離れ、娘たちの結婚という家族の節目について書きます。

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