前回:第5話|英語をほとんど話せなかった妻が、小さな店を一人で支えた3年間
約3年間、妻が一人で切り盛りしていたクリーニングの受付店が閉まりました。
経営が厳しくなり、オーナーが本店だけを残すことになったためです。
その頃、私は別のクリーニング店で働いていました。妻の仕事がなくなったことが、すぐに家計への大きな打撃になったわけではありません。それでも、妻は次の仕事を探しました。
求人広告で見つけたのが、Krogerの店内にある寿司バーのパートタイムでした。
私たちと寿司の仕事との関わりは、妻のこの仕事から始まりました。
最初は、なかなかロールを作らせてもらえなかった
妻が最初に勤めたのは、後に私たちが購入する寿司バーとは別のKrogerの店舗です。
ただ、働き始めてすぐに寿司作りを任されたわけではありません。妻の話では、最初は雑用が中心で、なかなかロールを作らせてもらえなかったようです。
寿司バーでは、午前11時までにショーケースを商品でいっぱいにしなければなりませんでした。午前中が勝負の仕事です。
妻のパートタイムも、お昼過ぎまででした。
妻はその店で働きながら、少しずつ寿司の仕事を覚えていきました。私が寿司作りを習うのは、もう少し後のことです。
アイスクリーム店から続いていた縁
私たちには、家族ぐるみで付き合っている韓国人のご夫婦がいました。
出会いのきっかけは、以前、私たち家族が運営していたアイスクリーム店です。お客さんとして来ていた方と知り合い、その後も付き合いが続いていました。
そのご夫婦は、寿司バーを始める前に寿司レストランを経営していました。私たちの長女も、そこでパートタイムをしていたことがあります。
私たちにとっては、以前から家族で関わりのある人たちでした。
その後、ご夫婦はKrogerの店内に寿司バーをオープンしました。
あるとき、そこの奥さんと妻が電話で話しているうちに、妻が別のKrogerの寿司バーで働いていることが話題になりました。
すると、こちらの店にも遊びに来ないかと誘われたのです。
そのとき、相手がすでに店の売却を考えていたのかどうかは分かりません。買い手を探していたのかもしれないというのは、今振り返っての私の推測です。
その電話をきっかけに、私たちは店を訪ねました。
輝いて見えた寿司バー
訪ねた寿司バーは、とてもきれいでした。
私には、その店が輝いて見えました。
妻がすでに別の店舗で働いていたこともあり、寿司バーは、私たちにとってまったく知らない仕事ではなくなっていました。
記憶では、その後、妻はこのご夫婦の店で働くようになりました。そして、ご主人から事業を買わないかという話が出たのです。

次の出発点は、すぐ近くにあった
もう一つ、不思議に思うことがあります。
このKrogerは、私たちが購入を断念したアイスクリーム店から、車でわずか数分の場所にありました。

家族で働き、購入を真剣に考えた末に、買わないと決めた店。そのすぐ近くで、今度は寿司の仕事に関わることになったのです。
二つの店をつないだのは、アイスクリーム店のお客さんとして知り合ったご夫婦でした。
あの店を買うことはありませんでしたが、そこで生まれた付き合いは続いていました。そして、その縁をたどった先も、遠く離れた場所ではありませんでした。
シアトルでの出来事を振り返ったときにも感じましたが、人生の節目で、場所と人との縁が思いがけず重なることがあります。
私たちにとって、次の出発点は、断念した店のすぐ近くにありました。
残していた資金で、事業を購入する
購入を考えるうえで、私たちにはビザの問題もありました。
商売としてやっていけるかどうかに加え、アメリカで暮らしていくための見通しが大切でした。
移民弁護士にも相談しました。私たちの場合、ビザの問題を解決できる見通しが持てたことが、購入を決める大きな理由になりました。
購入の元手になったのは、韓国にあった土地を売って用意した資金です。
もともとアイスクリーム店の購入を検討したときに、アメリカへ送っていたお金でした。店を買わなかったため手元に残り、その後は生活費の不足分を補うため、少しずつ使っていました。
その残った資金を、今度は寿司バーの購入に充てました。
第4話で書いた、アイスクリーム店から残った「資金」と「縁」。その二つが、ここで一つにつながったのです。
カリフォルニアロールから始めた研修
私が寿司作りを習い始めたのは、事業を購入してからでした。
自分たちで店を運営する以上、私も実際の仕事を覚えなければなりません。
教えてくれたのは、その店で働いていた従業員でした。
最初に習ったのは、カリフォルニアロールの作り方です。
海苔の上にご飯を広げ、裏返して具を載せ、巻いていく。私は、その基本から教わりました。
妻はすでに寿司バーで働いた経験がありましたが、私は習い始めたばかりでした。
ところが、その研修は、思いがけない形で途切れます。
わずか1週間で、教えてくれる人がいなくなった
教わり始めてわずか1週間で、その従業員が交通事故に遭い、働けなくなってしまいました。
そのまま退職することになったのです。
事業は、すでに購入しています。教えてくれる人がいなくなっても、店の仕事は続きます。
私たちは、家族で寿司バーを回すことになりました。
午前11時までに、ショーケースを商品でいっぱいにする。妻が最初のパート先で経験していた仕事を、今度は自分たちの店で担わなければなりませんでした。
妻の姉夫婦も、一時的に助っ人として来てくれました。
妻の経験を頼りに、身内の手も借りながら、私も実際の仕事を通じて覚えていくことになったのです。

店を支えてくれた人たち
初めの頃は、従業員がなかなか長く定着せず、入れ替わりがありました。
そんななか、後に雇った従業員に、とても仕事の速い人がいました。
その人は、夜明けにはドーナツショップで働き、午前中は私たちの寿司バー、午後はクリーニング店で働いていました。
一日のうちに、三つの仕事場を回っていたのです。
午前中に商品をそろえる私たちの店で、その仕事の速さは頼りになりました。夜明けからそれだけ働くのですから、すごい人だと思いました。
そして、その次に来てくれたのが、寿司シェフとして長い経験を持つ人でした。
その人は、長年にわたって私たちの店で働いてくれました。私も、一緒に仕事をしながら、ずいぶん多くの技術を教わりました。
家族が店に入る時期もありました。娘婿が働いていたこともあります。
私たちの店は、家族と、そこで働いてくれた人たちに支えられて続いていきました。
店主だった私の先生は、従業員だった
私は、寿司職人として経験を積んでから店を買ったわけではありません。
事業を購入して初めて、従業員からカリフォルニアロールの作り方を教わりました。その研修が1週間で途切れたあとも、日々の仕事を続けながら学んでいきました。
後に来てくれたベテランの寿司シェフも、私にとって先生でした。
店の持ち主は私でも、寿司作りについては、従業員の方がよく知っていました。
結局、私は従業員から寿司を学んだのです。
アイスクリーム店で知り合った人との縁が、寿司バーの購入につながりました。そして、購入した店で出会った人たちが、今度は私に仕事を教えてくれました。
妻が求人広告で見つけたパートタイムから始まった寿司の仕事は、こうして私たち家族の暮らしの一部になっていきました。
次回は、仕事の話から少し離れ、娘たちの結婚という家族の節目について書きます。



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